恭賀新年
旧年中は大変お世話になり誠にありがとうございました
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます
本年もよろしくお願いいたします
皆様は今年は初詣とかは行きましたか?
大体は一年の抱負とか健康祈願、家族円満、受験うんぬんをお願いすると思いますが、ここで疑問が一つ、お寺と神社どちらにいけばいいのっと
明確にここ!って決まりはないらしいのですが願いを渡す対象が違うらしく
神社:その土地の神様や祀っている存在にお願いする (The神頼み)
お寺:釈迦如来などその寺院で信仰している仏にお願いする
ざっくり説明するとこんな感じらしく
でもそうなってくるとお寺に行く場合は自分の宗派にあった場所に行くのが良いのかもしれないのかな?とも思ったり。
昔は正月はお店はどこも閉まっていたから凧あげやらテレビやら見てゆっくりと過ごしていた物ですが、今では大体のお店が開いているので街を歩くと人出が多くビックリしてしまいます。
ここでお正月とはっと語りたいところですが基本的にはこちらも江戸時代~定着した行事らしいので気になる方は調べてみてください。
では本題にはいり「おせち」とはナニモノぞと言いますと!
時は縄文~弥生時代、稲作が伝わり狩猟から農耕へと切り替わりその際に二十四節気も中国から伝わり季節ごとに作物を供える節供という風習が生まれます。
そこで節供で供えられた作物を調理した物を御節料理と呼んでいたとの事
時代が少し進み奈良~平安時代になると宮中行事として元日、白馬、踏歌、端午、豊明の五節会が開かれるようになり、そこで振舞われるお祝いの料理を御節供と呼びました。
更に時代が進んで江戸時代!来ました、そうです!武家、豪族、宮中の行事を庶民が吸収し真似し広まった時代です。
最初は1年に5回の節句として豪華な料理を出すところから始まり、新年を迎える重要な節供料理になりそして江戸後期頃には意味がこめられるようになりました。
最初は盆状の器をお膳に並べて用意されていた物も意味が出来た事により重箱に変化
しかし形は現代と似てきましたが現代で良く見聞きする「おせち」ではまだありません
当時はまだ食積、蓬莱と呼ばれていました。ではいつから名前が変わったの?という所で
時代がまたまた進んで終戦後近くになるとやっと「おせち」という名称になっただとか
そして家庭で作っていた重箱ですがデパートなどでも「おせち」として売られるようになったとか…。
実際の所どうなのか、当時を生きた人にしか分からないので何とも言えませんが
もしご家庭や近くに80代~90代の方がいる場合は本人に聞いてみるのも良いかもしれませんね。
では最後に12月の行事紹介
餅つきの様子です。
高齢化が進み、昔は杵と臼を使って今いたが今は時代の波にのって自動化(餅つき機)です。
しかし丸めるまではまだ出来ないので…ここは現役のベテランたちにおまかせ
長芋やじゃが芋などデンプンや粘りのある野菜を混ぜると歯切れが良く飲み込みやすかったり冷凍した時にひび割れたりしなくなりますが
くらたでは100%もち米で作っております。
食べる際には気を付けて食べてねの意を込めて「詰まると来年は餅つきが出来ません」とアナウンスし無事に全員が食べ終わると今年も無事終わった~!来年も餅つきが出来る!と利用者様、職員皆で喜びました。
こちらは火災の消防訓練の様子、上から下へと非難します。
エレベーターは使えないので階段を使用しておりますが、背中に背負われるのが怖いという方もいる為、今回は車椅子のままでの避難にもチャレンジ。
こちらは消火器を使っての消火訓練の様子。
職員が使い方の説明と手本を見せて希望者には実際に体験をしてもらっています。
もちろん施設の各階にも消火器が設置されているので、これでもし火事が起こっても消すことが出来ますね。
消防訓練の最後にはプチクリスマス会をしました。
そうです赤いサンタならぬ赤い消火器が今年は来たんです。
くじ引きをしてケーキを食べて12月の行事はおしまい。
今年も皆さんの笑顔が見れるように職員一同頑張ってまいります!
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